勝手に熊本応援 その7
さて、前回の記事で書いたように、前日の12時過ぎにホテルに着き、床に就いた。
正直長旅で疲れていたため、第1試合の済美対広陵は観たくてもムリだと思っていたし、さすがに父にも言い出せなかった。
しかし、試合の当日朝ごはんを食べていると、父からこんな言葉が出た。
「第2試合まで時間があるから、せっかくだから第1試合も観よう」。
もちろん、第1試合の試合開始には間に合うはずはない。それでも、父の提案が嬉しくないはずはなく、即座に同意した。
今思うと、父は野球バカの私の気持ちを察して、そのような提案をしてくれたのだと思っている。
そして、食事を済ませてから落ち着いて、甲子園に移動した。
甲子園の外では、大勢の済々黌の卒業生がいて、あちこちで「〇〇年会」とか「東京○○会」などの旗を持った人がいて、かつスクールカラーでもある黄色を身につけた人たちにたくさん遭遇した。
父は、それだけでもかなり心を動かされたようである。
甲子園の席は、内野自由席。事前にコンビニで購入していたモノだった。
甲子園に着いた時に、アルプス席に近い1塁側=済々黌側の席をキープした。
着いてからまもなく、済美の安楽君がいきなり151キロを記録!
さらに、広陵と済美の好ゲームに、会場のボルテージは大いに上がった。
この試合、延長14回までもつれ込む好ゲームだった。しかし、帰りの新幹線の予定があったため、試合の途中から2人ともかなり青ざめていた。
ヘタしたら、第2試合の途中で移動するハメになるからだ。
そして、済美が延長14回にサヨナラで勝利した。済々黌と常総学院の試合は、理論上試合時間で2時間半くらいになったら球場からでなければならないような状態だった。
続く
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勝手に熊本応援 その6
熊本関連の前回の記事で、済々黌が選手権に出場したときに、初戦の鳴門戦で応援に行ったことを書いた。
その日を境に、やはり父は心を動かされたようで、「済々黌が次回甲子園に行った時には必ず応援に行く」と言った。
そして、秋の熊本県大会。熊本工業には決勝で敗れたものの、九州大会では並みいる強豪を倒し、決勝へ。
決勝では、沖縄尚学に延長で敗れたものの、見事にセンバツの切符を得た。
その時点で、父はセンバツの初戦で済々黌の応援に行くことを決めた。
組み合わせが発表され、対戦相手は茨城の常総学院になった。言うまでもなく、名門中の名門である。このときのバッテリーは、後に高校日本代表に選ばれることになった飯田君と内田君。
飯田君は大学でも東都の名門・東洋大に進み、内田君はプロの指名を受け、プロ入りしている。
常総学院は、そのような優秀な選手を擁していた。
組み合わせが発表されてから、工程を考えた。父は夜行バスでの長時間の移動が嫌いである。しかし、私も仕事を終わらせてから移動したいと思っていたため、新幹線で行くことにした。
新幹線で新大阪に到着するのは12時ちょっと前の予定だった。
試合の前日、仕事が終わってから秋葉原で待ち合わせをして、東京に移動した。そして、新幹線に乗った。
ホテルに到着した時には、12時を少し回っていた。
済々黌の試合は、翌朝の第2試合。第1試合は、広陵対済美。どちらも全国制覇をしたことがあり、当時から済美の2年生エースで後にプロ入りした安楽君の名は知れ渡っていた。
私は、第1試合から観たかったのだが、12時を回っていたために、さすがに第1試合から行こうとは言えなかった。
そして、その晩は床に就いた。
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定期を使って電車で勉強
先日、仕事が早く終わってからやったことがある。それは、電車の中での勉強だ。
どういうことかというと、定期で出かけられる場所まで行くことだ。
私は、都内の専門学校に通っているため、山手線などを利用している。そこで、山手線をグルグル回るのだ。
しかも、3週ほど行った。途中で眠くなれば昼寝をする。そして、トイレに行きたくなればトイレに行く。
でも、電車の中で、必ず教科書類をしっかりと読む。特に、解剖学。これは、前の記事に書いたように、教科書が合わなくて馴染めないのであれば、なんとか馴染めるように努力しないことにはどうしようもない。
ただ、通信教育で法律を勉強してきた時の経験で言うと、日本語などの感性がどうしても合う・合わないというのはある。例えば、刑事訴訟法の渥美先生などはまさにその典型だった。
なので、刑事訴訟法は他の教科書で勉強していた。
解剖学の教科書については、授業などで使うので、まったく無視するワケにはいかない。
そこで、藤田先生の本をベースにしつつも、該当箇所も並行して読む、さらに図表なども必ずチェックするようにしている。
そして、山手線でしっかりと読んだところ、なんとか教科書のアレルギーはなくなってきた!
これが大事なんだと思っている。
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授業が一旦小休止
連休で、授業が休止している。今回は、簡単にこれまでの感想などを書いてみる。
まずは、専門基礎教育。生化学と医療概論。
この2科目のうち、生化学は本当に序盤苦労した。とくに、化学の知識が乏しく、高校時代に怠けていたツケがここで出てきて、本当に精神的に大変だった(苦笑)。
医療概論は、メリハリのつけ方が正直難しい。反面、歴史は元々好きなので、医療の歴史はけっこうおもしろく聴けている。今後東洋医学や西洋医学がもっと進んでくるので、そうなれば益々おもしろくなるだろう。
まあ、大昔の医学はお祈りなども多々あり、現在の価値観からすると「胡散臭い」側面は多々ある。東洋医学の陰陽論についても、現在の占いと通じるところもあるので、そういう側面もある。
ただ、そういう価値観を採用するかどうかは本人の問題なので、それを無視したりすることはない。単純に「こういうこともあった」と認識するだけ。
東洋医学系の科目について。はりきゅう実技、東洋医学概論、経絡経穴論はどれもつかみどころがない。それは、西洋医学の価値観を長いこと生活で実感してきたからだ。
特に、陰陽五行などはチンプンカンプン(苦笑)。学校によっては、占いの授業をしているところもあるそうだ(笑)。
ただ、はりきゅう実技については、糠枕をつくって以来、家で数分でもほぼ毎日練習するようにしている。それは、カンをにぶらせないのと、少しでも早く片手挿管などを手になじませたいからだ。
実技のテストも今後出てくるので、先生に言われなくても学校でやったことは少しでも早く身につけたいと思うので、これは真剣にやっている。
西洋医学系の科目について。解剖学と生理学は、入学前から特に力を入れてきた科目だった。しかし、解剖学の教科書が私に合わず、スムーズにならない状況が続いてきた。
そこで、藤田先生の人体解剖学の教科書と併用するようにし、さらに解剖学を集中的に電車で勉強するなどして、強引に現状の打開を図った。その結果、なんとか打開の緒は見出せつつあるので、連休中にもさらになんとか進めたいと思っている。
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勝手に熊本応援 その5
さて、今回は済々黌が夏の甲子園の切符を掴んだ時の話である。父に、甲子園に連れていくことを提案した。しかし、父からは断られてしまった。
その理由は、甲子園の夏の暑さとそれによる体力の不安だった。たしかに、甲子園は毎年暑いことは誰もが知っている。しかも、35度近い気温になることも珍しくない。
結果的に、父には断られてしまった。しかし、家族で甲子園に行ってもいいというのもいたので、高速バスで行くことにした。
さて、甲子園だが、正直働いている人間にとっては、組み合わせが決まるのが遅いため、仕事の調整などをするのにとても大変だ。しかも、雨で試合が流れたりすると、本当にたまらない。
幸い、私が甲子園に行った時には2度とも順延などがなかったため、問題はなかったのだが、もし順延などがあったら…と思うとたまったモノではない。
スコアラーとして大学にも携わっているが、大学の場合には組み合わせが早く出るので、仕事などの調整がとてもスムーズに行く。しかし、甲子園は本当に綱渡りになる。そのことを考えてほしいと本気で思っている。
さて、話を本題に戻す。
試合の行われる日は、お盆の初日の第2試合。相手は、センバツでベスト8に入っていた鳴門。破壊力があるワケではないが、とても試合巧者のチーム。
この日は、第1試合が智弁和歌山、第3試合が優勝をした大阪桐蔭(エースが阪神の藤浪投手)だったこともあり、甲子園についたときには満員。それでも、外野席に入ることができただけマシだった。
試合は、序盤から大竹君が評判に違わぬ落ち着いたピッチングを展開。優位に試合を進めた。そして、ネットでも話題になった「ドカベンプレー」で1点を追加し、甲子園勝利を成し遂げた。
その日に帰宅後、父はいつになく上機嫌だった。そして、「今度甲子園に行くことになったら応援に行く」と。
そして、その父の発言は次の甲子園(センバツ)で果たされることになった。
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勝手に熊本応援 その4
今回と次回、私が2度行った甲子園の応援について書くこととする。
まず、私は野球が好きでありながら、かつては甲子園はテレビで見るものだと思っていたし、基本的にはそれは今でも変わっていない。それは、あまりにも移動と時間とコストがかかり、春は花粉症、夏は酷暑で、試合以外がキツいからだ。
さらに、仕事をしていると、甲子園のように直前にならないと組み合わせがわからない状況だと、休みを取るのがとても大変なのだ。
そんなワケで、高校野球は好きでも、甲子園には行ったことがないのだ。
しかし、2回の例外がある。それは、4年前の夏と3年前の春に済々黌が2期連続で甲子園に出場したときのことだった。
このときのチームは、現在早稲田大学でエースとして活躍している大竹君が済々黌のエースとして活躍していた。大竹君の名前が広く熊本に知れ渡ったのは、1年秋の熊本県大会のことだった。
当時ネット仲間で熊本の方々とも情報交換をしていて、その方々に教えていただいた。いわく、「済々黌の1年生サウスポーがとても頭脳的なピッチングをしている」と。それが、大竹君だった。
その大会では、ベスト16で九州学院と対戦し、現在楽天に在籍している大塚投手とお互いに素晴らしい投手戦を展開したそうで、済々黌が惜敗したものの、強烈なインパクトを残したとのことだった。
そして、翌年春には、熊本県屈指の好投手として注目され、県大会でも大車輪の活躍をした。しかし、膝の疲労骨折のため、大会途中で離脱することになった。
そして、夏の県大会。並みいる強豪を倒し、迎えた準決勝。それまで何度か勝てずに来た九州学院相手に、ここでも大塚投手と大熱戦を繰り広げ、ついにリベンジを果たした。
そして、決勝では、必由館と対戦。この高校は、これまでに何人ものプロ野球選手を輩出している。
ソフトバンクで活躍され、昨年引退をされて今年から治療家の道を志された馬原投手。
今年阪神3年目で大ブレイクし、1勝1敗ながら防御率ランキングで菅野投手に次ぐ2位に奮闘している岩貞投手。
実質大学4年春の1期しか登板していないにもかかわらず、目覚しい活躍が認められて大学日本代表→巨人入りを果たした田中大輝投手。
そして、対戦相手は、今年ドラフト候補にも挙がっているサウスポーの平木君。試合は、共に点を取り合う打撃戦となったものの、済々黌がこの試合を制し、ついに甲子園出場を決めたのであった。
そして、この時に、父へのプレゼントとして甲子園行きを提案したのだった。(続く)
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